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いきてるだけでまるもうけ

creambread190217

朝起きたら、落合さん(ねこ・スコ・雄・もうすぐ11歳)が窓辺でふくふくしていた。かわいいなコイツ・・・とか思いながらふとリビングと和室を仕切るふすまを見たら、丁度ねこが出入りできるだけの隙間が開けられてた。慌てて落合さんを叱りつつふすまを閉めた際にちらっと和室を覗いたら、仏壇が賑やかに飾られていた。

今日は祖父の命日だった。

祖父は、私が大学3年の冬に亡くなった。何処も悪いところのない健康の塊で、絶対にこのじーちゃん100歳まで生きるで・・・と言われ続けてた人だったので、家族はともかく親戚知人誰もが予想していなかった展開で、物凄く慌ただしいことになったのだけは未だによく憶えている。そもそもその当時、私と弟は進学で関西にいたし、父は単身赴任で首都圏にいたしで、我が家は離ればなれになっていた。唯一祖父と同居してた母(祖父の実娘)も仕事が忙しく前日まで合宿の引率をしていたと言っていたので、最期の時期に本当に淋しい思いをさせてしまったな・・・という後悔が家族全員を未だに苦しめている。

祖父は、とにかく人のために尽くし努力しまくった人だった。自分のことなんか二の次三の次、家族や親戚や知人が喜ぶのだったらどんなことでもやる・・・という、徹底した「見を挺する人」だった。いつも祖父に甘えまくってて恩返しができていない、という方が大勢葬式に集まった。みんな呆然とした表情で遺影を見つめていた。

雪が盛大に積もっていたけど、物凄くよく晴れた日。未だに、あの日歩いた「自宅までの雪道」を忘れられない。

あれから十数年。

結局、学生時代と何も変わっていない私がいる。

未だにぼーっと日々を過ごし、気ばかり若いつもりでいるけれども現実を余り見ていない毎日。そのくせ、かすかな焦りに押しつぶされそうになっている。

社会人になってから患った病がいつまでも治らず、なかなか世間に出ることも少なくなっているのだけれども、「じいちゃんが今の私の姿を見たら、なんて言うかな?」などと考えたりもしている。叱ってくれるかな?それとも治癒のために駆け回ってくれるかな?倒れた頃よりはだいぶ良くなってきたけれど、相変わらず「相変わらず」な私を受け入れてくれるかな?

そんなことを考えていたら、ずびびびぃぃぃぃぃっという物凄い音がリビングに響き渡った。落合さんが、へそを丸出しにしながら大いびきをかいていた。

病を食べるねこ(?)

落合さんは、私の病気を治すためにうちにやって来た。

今よりも更に酷い状態のとき、父が「善光寺門前通りのペットショップにかわいいこねこがいる」と言い出して、たまたま興味を持った私が初めて入ったそのお店でひと目惚れしてしまい、半月悩んだり家族会議を開いたりした挙句うちにお迎えした子だった。

うちに来たのが祖父の誕生月である5月で、生まれたのは命日のある2月・・・というのも、どこか運命を感じたひとつだったのだけど、本人(本猫?)もなんだか「うちにはオレのほかにも”大事な人”がいるっぽい」というのを感じているのかいないのか、たまーに和室に忍び込んで仏壇を見上げたり、祖父へのお供えで遊び出したりと、フリーダムながら敬意を表しているっぽい態度をたまに見かける。

流石に「落合さんは祖父の生まれ変わり」というには、性格が悪すぎたり態度が酷すぎたり似ていなさすぎたり強引すぎたりするのだけれども、彼が私の病気を10年以上せっせと食べ続けてくれたおかげで、ようやく闘病生活の出口が見えかけてきたところまでやって来た。

「ありがとね、落合しゃん。」

そう言いながら頭を撫でたら、機嫌が悪かったらしく撫でてた手を殴られた。

ゆっくりせかせか、生きてゆく。

とにもかくにも。祖父に育てられ、落合さんに守ってもらった命なので、大事に生きねばなーと思っている。あんまり大事に生きていなかった時もあったのだけど、そのとき落としてこなかったのはたぶん「意味」があるんだろうなー・・・と思っている。

今現在、物凄い有難いことに多方面に興味が向いていてアホみたいに活動をしているので、蒔いた種がうまく育ってくれる可能性をちょっと考え始めている。たぶん生きてるだけで物凄いお得だと今は確信を持って言えるので、今のままなんとか生きていけたらいいんじゃないかと考えた。

じいちゃん、どうかこんな私を空から見守っててください・・・とか祈ったり祈らなかったりした、そんな祖父の命日。